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HATHU-MOUDE
初詣
初詣は年が明けてから初めて神社やお寺へ参拝する行事です。お寺での参拝作法は神社とは違い「合掌低頭」(がっしょうていず)で、両手を合わせて合掌し、そのまま深くお辞儀をする。願い事があればこの時に行います。

GOMA-TAKI
護摩焚き
護摩には、外護摩と内護摩の2種類あります。外護摩は、実際に火の中に供物と護摩木を投げ入れて祈願します。内護摩は、自分の心の中の煩悩や業に火をつけて焼き払います。当寺では外護摩にて護摩焚きを行います。

STORY2
法雁寺の歴史
main story
ある日○○はやせた馬を一頭つれて、千葉のほうの馬市に売りに出かけました。その途中で、浅草の観音さまにお詣りしました。そして、「どうか観音さま、馬がよい値で売れますように。この馬が売れて、そのお金のなかに大観通宝がまざっていましたら、それはぜんぶ、観音さまにさしあげます」とお願いをしました。大観通宝というのは中国のお金です。そのころは日本でも、中国のお金が使われていたのです。
さて、そうして馬市に行きました。馬は思っていたよりも、ずいぶん高値で売れました。これは観音さまのおかげだと、○○は大喜びしました。ところが、受け取ったお金をよく見ると、すべて大観通宝でした。大観通宝はみんな観音さまにさしあげるといってしまったと、○○は迷いました。約束どおり、観音さまにお金をあげてしまうと○○には一銭も残りません。せっかく千葉まで馬を売りにきたのに、それではあんまりです。しかし、○○はやはり約束は守らなければならない。馬が高く売れるようになどと願った自分がいけなかった。お金はしっかり働いて手に入れなければならないと、観音さまが教えてくださったのだろうと考えました。こうして○○は、それまで以上に働いて、のちには中野長者といわれるほどのお金持ちになりました。
epilogue
しかし、思わぬ不幸が訪れました。○○が大事に育てていた○○という一人娘がいましたが、病気で亡くなってしまったのです。○○はたいへん深く悲しみました。それで○○はお坊さんになって名前を「正蓮」とかえました。家もお寺につくりかえて、立派な三重の塔も建てました。それが法雁寺のはじまりとなりました。
それから600年ものあいだ、法雁寺は仏さまをしたう人々の心とともに生きてきました。玉池町をはじめとして、たくさんの旅人が法願寺にお詣りしたといいます。幕末に活躍した新撰組の○○も、家族を法雁寺にあずけていたという記録が残っています。法雁寺では、数年前修復が施されました。そして、ご開山さまのお像のなかから、古い小さな骨片がたくさん出てきました。これを○○大学名誉教授鈴木○○先生に鑑定を行っていただきました。すると、中年の男性とからだの弱い娘の骨ということが判明しました。その骨は、鈴木○○と夭折した○○の遺骨にまちがいないでしょう。