top of page
寺院ロゴ
  • フェイスブック
  • Instagram
  • さえずり
参道の紅葉

STORY 1

​法雁寺の歴史

prologue

およそ600年のむかし、現在の法雁寺のある場所に、鈴木九郎という馬売りが住んでいました。そのころ、この法雁寺のあたりは見渡すかぎりのススキの原っぱが広がっていました。九郎は荒れた土地を少しずつきりひらきながら、馬を育てていたのです。食べもののない日が何日も続くような、たいへんまずしい暮らしを送っていました。九郎の馬もやせていて、あまり高くは売れませんでした。

へ続く

おみくじ

HATHU-MOUDE

​初詣

初詣は年が明けてから初めて神社やお寺へ参拝する行事です。お寺での参拝作法は神社とは違い「合掌低頭」(がっしょうていず)で、両手を合わせて合掌し、そのまま深くお辞儀をする。願い事があればこの時に行います。

護摩焚き

GOMA-TAKI

​護摩焚き

護摩には、外護摩と内護摩の2種類あります。外護摩は、実際に火の中に供物と護摩木を投げ入れて祈願します。内護摩は、自分の心の中の煩悩や業に火をつけて焼き払います。当寺では外護摩にて護摩焚きを行います。

​HOUGANZI

法雁寺

法雁寺の本山は、道元禅師さまがひらかれた福井県永平寺と、宝山禅師さまがひらかれた名古屋市総持寺です。今から約350年前、中野長者 鈴木九郎が、小田原大雄山最乗寺五世 春屋宗能禅師様の教えのもと出家し開創した、観音様ゆかりの由緒あるお寺です。

法要
​HOUGANZI
STORY2

STORY2

​法雁寺の歴史

main story

ある日九郎はやせた馬を一頭つれて、千葉のほうの馬市に売りに出かけました。その途中で、浅草の観音さまにお詣りしました。そして、「どうか観音さま、馬がよい値で売れますように。この馬が売れて、そのお金のなかに大観通宝がまざっていましたら、それはぜんぶ、観音さまにさしあげます」とお願いをしました。大観通宝というのは中国のお金です。そのころは日本でも、中国のお金が使われていたのです。

さて、そうして馬市に行きました。馬は思っていたよりも、ずいぶん高値で売れました。これは観音さまのおかげだと、九郎は大喜びしました。ところが、受け取ったお金をよく見ると、すべて大観通宝でした。大観通宝はみんな観音さまにさしあげるといってしまったと、九郎は迷いました。約束どおり、観音さまにお金をあげてしまうと九郎には一銭も残りません。せっかく千葉まで馬を売りにきたのに、それではあんまりです。しかし、九郎はやはり約束は守らなければならない。馬が高く売れるようになどと願った自分がいけなかった。お金はしっかり働いて手に入れなければならないと、観音さまが教えてくださったのだろうと考えました。こうして九郎は、それまで以上に働いて、のちには中野長者といわれるほどのお金持ちになりました。

epilogue

しかし、思わぬ不幸が訪れました。九郎が大事に育てていた小笹という一人娘がいましたが、病気で亡くなってしまったのです。九郎はたいへん深く悲しみました。それで九郎はお坊さんになって名前を「正蓮」とかえました。家もお寺につくりかえて、立派な三重の塔も建てました。それが法雁寺のはじまりとなりました。

それから600年ものあいだ、法雁寺は仏さまをしたう人々の心とともに生きてきました。玉池町をはじめとして、たくさんの旅人が法願寺にお詣りしたといいます。幕末に活躍した新撰組の近藤勇も、家族を法雁寺にあずけていたという記録が残っています。法雁寺では、数年前修復が施されました。そして、ご開山さまのお像のなかから、古い小さな骨片がたくさん出てきました。これを東京大学名誉教授鈴木尚先生に鑑定を行っていただきました。すると、中年の男性とからだの弱い娘の骨ということが判明しました。その骨は、鈴木九郎と夭折した小笹の遺骨にまちがいないでしょう。

寺

​■ 法雁寺用達会

▶ ニュー旺文社
▶ 香・蝋燭老舗 南商店
▶ ㈲ 仙道 神祭具店

▶ 魚住法衣店
▶ 宮城念珠店
▶ 安西株式会社

▶ ㈱ 桜木商店

▶ ㈱ 赤城建設
▶ ㈱ 水戸石材

〒000-0000

​愛知県名古屋市西区玉池町0-0

TEL-000-000-0000

FAX-000-000-0000

​🄫2023 法雁寺 All Rights Reserved.

bottom of page